現在、青い森信用金庫本店の地域支援室で働く早狩伴朗さん。「もう、毎日。浮き輪とか水中メガネとか持って海に行ってましたね。真っ黒でした」と笑いながら幼少期を振り返った。
眼下に三陸復興国立公園内の白浜海岸海水浴場を望む八戸市鮫町に生まれ、祖父は街で自転車店。「売るほど自転車ありましたから(笑)。学校行ってる以外はとにかくチャリで、白浜、蕪島、種差・・・海水浴場の専属モデルみたいに新聞にも載ったりして」
「地域の港湾関係の会社に勤務していた父親は厳格で言葉少ない昭和の父親そのもの。でも休みの日は姉と自分を連れて海に野山に。秘密基地というか、お気に入りポイントが何箇所もできて、自分がこうしてサイクリングやチェアリングにハマってるのも運命というか」
小中高と社会人になってからも勤務先の野球部に。ベンチを温めることが多かったが野球愛は止まらない。むしろそのおかげで、プレイヤーじゃなくてもマネージャーとして戦力になる、
チームの役に立つ、という喜びを知ることに。
中学時代、早狩少年の運命の鍵を握る社会科の先生との出会いがあった。「その社会の先生の影響で教師をめざし、大学でも歴史、特に日本史を専攻して、どんどんハマっていきました。中でも坂本龍馬は特別ですね」と語る早狩さん、卒論も坂本龍馬。
やがて縁あって地元企業である現職の青い森信用金庫に就職することに。「最初は金融という言葉に囚われすぎて、働きがいを見出せずにいた時期があって。でも、新発足した観光DMO、VISITはちのへへ出向し、その後、今の地域支援室へ戻る間にちょっとした開き直りができたんです」
野球部でのマネージメント、中学の社会の先生の影響でハマった歴史、そして坂本龍馬。それらには、「人と人をつなぐ」というキーワードが共通していて、観光でも、地域経済でも、プレイヤーとしてよりも、立役者として人と人をつなぐ喜びを得て輝いているようだ。
「今でも歴史は好きですね。休みの日は、大学で知り合った妻と、種差や大須賀など、子どもの頃からプロットしてきた自分だけのポイントに自分だけの空間を作って、ゆったり歴史本などを読んだりしてます。同じ場所でも、少し向きを変えたり、季節ごとに風向きや陽射しが変わるのが面白い。親戚や大学時代の友人が八戸に来たら、人数分の椅子を持ってチェアリング。仕事でも、種差方面に来たときはプチワーケーションも。オフィスがある中心街から車で30分弱で別世界ですから、地元ながら幸運というか奇跡ですよね!」笑顔で語る様子は、まるで浮き輪とチャリで駆ける早狩少年のように輝いていた。